“Seminare su quelle colline” その丘に種を蒔く
Colline verdi ~緑の丘 暑い夏がようやく去り、朝の青空は高い。琵琶湖から吹いてくるのか涼風がさわやかだった。入り口の小道を抜けると緑の世界が広がっていて、低い笹の植栽が一面に続く先に、屋根まで植物に覆われた […]
2026年2月9日世界が、強くざわめいている。暗く長いトンネルに立ちすくむ影と、光が導く少しの良い兆し。
コロナ禍で立ちすくんでいた場所から、私たちもそろそろ、動きださなければならない。そんなことを考えている時に、ブルターニュにあるロリアンという街の洋服工場を訪ねる機会ができた。
ブルターニュ王国。フランス最大の半島であり、フランス革命中の1789年まで公国だったこの地の歴史はあまりに深く、ここで多くを語れるものではないが、一つだけ、甚大な被害を受けた第一次世界大戦後のエピソードが雄弁に物語っていることがある。1956年、かつての公国の首都であったナントとその周辺地域を除いて、ブルターニュ地域圏として再編されたがブルターニュはその文化の独立性を失わず、1960年代と1970年代に新たな文化復興運動がおきた。もともとの言語であるブルトン語とフランス語で授業を行う学校が生まれ、アーチストたちはブルトン語で書いた歌を歌い始めた。そして、大西洋に面した自然豊かなこの街では、アモコ・カディス号原油流出事故のような環境災害や、ウシの飼育の集中による水質汚染といった事件がおきるたび、自然遺産を保護する大きな運動がうねりをあげる。公国のプライドは、平和と自然と、人と文化の尊厳のためにあり続けた。もし、そのプライドが今も残るなら、それは、確かな未来への兆しになりうるのかもしれない。
モンパルナスから朝6時台のTGVに乗り込み、3時間の列車旅。ロリアン駅につく。ブルターニュ地方にある小さな港町。漁業が盛んで、かつて、フランス海軍の基地があり、今もその名残があちこちに残る。駅前広場はなるほど静かで、ホテルが一軒と数軒の店らしき建物、そしてタクシーのいないタクシー乗り場があるだけだ。とりあえず、洋服工場に行く必要があるので、先方に呼んでもらった車で20分ほどのところにあるルミノアに向かった。ボーダーのシャツで知られるメーカーで、日本でも有名だ。とてもしっかりした服をつくる。
1922年創業「海で働く人々の悪天候に対する鎧」として漁業の船員を守り続けたこのメーカーは、1970年にはフランス海軍の世紀ジャージをつくり、市民が一生使えるセーターをつくり続けているのだ。地元の人のために、地元の人たちが、100年にわたり服をつくり続けている。あまり素敵なので、詳しくは別ページ、ということになる。何はともあれ、「永く着続けられる服をつくることがサステナビリティ」と言い切れる経営者がいる。30年以上着続けられるコートがあり、若いころ自社広告のモデルを務めた従業員が今も働いていたりする。久しぶりに良い話と良い笑顔に会ったので、嬉しくなり、工場のアウトレットショップで両手一杯のボーダーのシャツを買った。
午前中で仕事は終わったが、帰りの便は夕方遅くしかないので、やはり、この街の象徴ともいえる、Lorient la base : ロリアン基地へ行くことにする。車で30分も走っただろうか。フェリーターミナルや巨大な博物館らしき建物が立ち並ぶコンクリートの広場に着いた。なにしろ元海軍基地だ。たくさんの船が泊まっている。海鳥もいる。だから海だと勘違いしたのだが、実は スコスフ川とプラヴェ川が交わるところで、ここからは大西洋は見えない。とはいえ、やはり気分は海辺だ。天気も良いし、空腹の時間だ。もともと漁業の町なのだから、やはりシーフードだろう。ということで、水辺に浮かぶヨットを眺めながら、ランチを取ることにする。埠頭に建つレストラン、その名もズバリLA BASE。空も海も風も見えるテラス席もあるし、今日入るべき店は、ここしかない。丁度、ひとり誕生日のものがいたので、特別にプロセッコを頼み、豪快なグリル料理を頼んだ。ホタテやサーモン、名前のわからない魚や貝たちと合わせて、プロセッコの泡が踊る。100年前から、ルミノアのセーターやコートで守られ、とり続けられた魚たちは、もちろん、絶品だ。余談だが、ルミノアで今もつくられているダッフルのようなコートには、懐に斜めのポケットがある。凍える夜や風の冷たい日に、手のひらをいれて暖をとったのだそうだ。時を超えて、彼らに感謝し、海の恵みの至福をいただいた。






そもそもロリアンが発展したのは、17世紀初頭、インドとの貿易拠点となったところにさかのぼる。1664年にあの東インド会社が設立され、ルイ14世が造船所の設立を認めたことから、急激な発展をとげることになる。
第二次世界大戦時には、独軍の占領下、空爆から係留中のあのUボートを守る「Uボートブンカー」が建設された。Uボートブンカーは分厚い鉄筋コンクリートでつくられ、その外観から連合軍はサブマリン・ペン(Sabmarine pen)と呼んだそうだ。結果として、標的となったロリアンは爆撃によって最も大きな被害をうけた街の一つになってしまったのだ。日本にもゆかりがある。大日本帝国が何度かにわたって実施した対ドイツ軍の潜水艦作戦で、2隻が入港している。連合軍の猛攻を受けてもUボートブンカーは破壊されずに残り、アメリカ陸軍がロリアンを包囲しても、ドイツは降伏を拒否。街は終戦まで独軍に占領されたままだった。かつて漁業によって豊かになった街は、戦争という大きすぎるうねりに翻弄されながら、それでも、生き続けてきたのだ。

そもそもこの場所は1942年にできたケロマン潜水艦基地で、建設当時は最大30艦にも及ぶ潜水艦が隠れることができる基地として活躍し、戦禍を生き抜いてきた。その過酷さは想像を絶するものなのだろうけれど、今、この瞬間のこの穏やかさは、もしかしたら、明日には消えてなくなるのかもしれないというような、漠然とした不安に駆られてしまうのは、私だけなのだろうか。
今は、いくつかの巨大な博物館が並んでいる。ほんとうは全部つぶさに見たいのだけれど、列車の時間もあるので、ロリアン潜水艦博物館Sous-marin. Flore-S645に入ることにする。なにしろ、実物の潜水艦、Flore-S645がある。全長58m、全高5m、全幅7mという威容。フランス国旗がはためいている。1989年まで活躍した軍用潜水艦で、300mまで潜行することができ、海域の監視を含むさ様々な作戦を実行した。この艦の特徴はとにかく速く、かつ320,854.6海里を航行することもできた。フランス海軍の誇りを海中に響かせ、遠い海面の先に光を求め続けたのだ。チケットを買って、エントランスをくぐると、歴史を語るパネルや、貴重な映像、操作できる計器類などメカ好きにはたまらない展示が続くが、やはり、ハイライトは本物の潜水艦の艦内だ。狭い通路を歩いていくと、むき出しの配管や、無数のスイッチやメーター所狭しとぶ計器類。覚えるだけでも大変だと思うけれど、とても狭い作業スペースなので、押し間違えたりしないのだろうかと心配になる。居住スペースも狭い。折り重なるように二段ベットが並び、さながら、立体雑魚寝の雰囲気。屈強な兵士には狭すぎるトイレ。ステンレスのシンクがふたつ並ぶキッチンとこれまた小さな冷蔵庫。はたして、彼らの食生活はどのようなものだったのか。潜水艦から表へでると、開放感が訪れる。翻るフランス国旗をあらためて見上げても、感興は少ない。どれだけ優れた潜水艦であっても、どれだけ誇り高き人々を乗せても、それが争いのために使われる限り、賞賛として伝えてはいけないのだと思う。太陽が隠れ、寒ささえ感じる空気の色が、さっきまでの青空をグレーに変えていた。



いったん駅にもどったが、列車まで小一時間あるので、海の見える場所まで行ってみることにする。地図によると、ハーバーまで20分ほどらしいので、少し早足で歩きだしてみた。駅からでると、三角屋根と煙突の家が整然と並んでいる。みんな同じような形をしている。新しい方の市街地のせいか、静かで、綺麗だ。道の両脇にはイタリアンやら、インド料理など、世界各国のレストランが5−6軒並んでいる。しばらく歩くと、大きな公園にぶつかった。両脇には重厚な建物のホテルや役所、ビルが並び、真ん中に広々とした緑の道がある。大通り公園みたいな佇まい。市庁と港の間、西から東に広がるジュールフェリーパークは4ヘクタールに及ぶ広大な敷地に広がっている。1945年の爆撃の後に埋められた旧ウエストドックの跡地が、ひどい状態に陥っていたところから、海と都市をつなぎ、自然と安らぎを回復するため、ロリアン市がハイブリットパブリックスペースとして生まれ変わらせた。なるほど、良い公園だ。豊かな緑、樹々の指先の光、その先に触れる海の匂い。この先に、きっとある。どんどん歩く。ヨットハーバーが現れる。夥しい数の船が係留されている。どうやって出発するのか、わからないような折り重なり方で停泊している船も多い。
そして、海だ。行き止まりの柵にとまった水鳥が、海へ出ていく船を眺めていたので、となりで静かに、遠い航跡に視線を預けてみる。船がでていく先には、ビスケー湾があり、太平洋につながっている。世界は確かにつながっているのだ。なのに、争いは絶えることなく、人も地球も傷め続けている。誰も止めることができていない。地図から、その道さえ、消えかかっている。ただ、あきらめてない人たちもきっと、たくさんいる。ささやかだけれど、この公園が海と街をつなげることができるのなら、意志があればできることもあるはずだ。まだ、間に合うかもしれない。


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