“Seminare su quelle colline” その丘に種を蒔く
Colline verdi ~緑の丘 暑い夏がようやく去り、朝の青空は高い。琵琶湖から吹いてくるのか涼風がさわやかだった。入り口の小道を抜けると緑の世界が広がっていて、低い笹の植栽が一面に続く先に、屋根まで植物に覆われた […]
2026年2月9日暑い夏がようやく去り、朝の青空は高い。琵琶湖から吹いてくるのか涼風がさわやかだった。入り口の小道を抜けると緑の世界が広がっていて、低い笹の植栽が一面に続く先に、屋根まで植物に覆われた大きな建物があった。「自然に学ぶ」をコンセプトにした、たねや・ クラブハリエのフラッグシップ店「ラ コリーナ近江八幡」である。ラ コリーナ(La Collina)とはイタリア語で「丘」のことで、2015年にオープンしたという。

朝の開店と同時に多くの人たちがメインショップの建物のなかへ吸い込まれてゆくのを見て、平日でこのように多くの人が訪れるのだから週末の賑わいは容易に想像できた。
エントランスを入ったところにあるメインショップを進み、敷地の奥に進むと、広々とした敷地が田んぼになっていて、それを囲むように回廊が続いていた。田んぼの中には「七つ石」と呼ばれる巨石が点在し、近江八幡ゆかりの日牟禮八幡宮へとつながる石組みになっているという。稲刈りが終わったばかりらしく田んぼの土は掘り返されていた。



「ここは、もともと近江八幡市の厚生年金施設があったんです。私も小さな頃、よく遊びにきました」と案内していただいている広報室の高曽津弥氏はいう。それをコンクリートを剥がして人びとが集うつながりの場をつくろうということで、この地域に生きてきた植物、生物が生きづく近江八幡の原風景を考えてつくったそうだ。
「後ろにそびえる八幡山とつながる里山をつくることにしたんです」
改めて全体を見渡すと、一面芝で覆われたメインショップの「草屋根」、本社は「銅屋根」、柱に栗の木を100本以上使用したというカステラ専門店の「栗百本」。すべてが植物と戯れている。回廊の屋根から銀色の糸になって落ちてくる雫に触れて子どもたちがはしゃいでいた。



1872(明治5)年創業の「たねや」は今年で創業154年目を迎えた。材木業からはじまり種苗業、そして和菓子屋になった。和菓子屋を始めたときに、もともと種を売っていた関係で地元では「たねや、たねや」とよばれていたことから、屋号を「たねや」にしたという。「近江八幡の地元の皆さまにつけていただいた名前です」と経営企画室の大村啓子氏はいう。
クラブハリエの創業は1951(昭和26)年。洋菓子をつくるようになったきっかけは近江八幡をベースに活躍していた建築家のウィリアム・メレル・ヴォーリズ氏だった。
「近江八幡で病院や学校などをつくっていらした建築家のヴォーリズさんが、たねやの近所にお住まいだったそうです。ヴォーリズさんは西洋の方ですから、ティータイムやアフタヌーンティーなどの習慣があったんですね。その洋風文化を知ったたねやのお菓子職人が、これからは洋菓子も必要だと感じて始めたんです。ヴォーリズさんには直接お菓子のつくり方を教わったわけではなく、西洋の文化に触れさせていただくきっかけをつくっていただいたんですね」
以来、和と洋の両輪でお菓子をつくってきた「たねや・クラブハリエ」には近江商人の経営理念が息づいているという。「売り手よし、買い手よし、世間よし」という「三方よし」の精神が守られているそうだ。
「私たちは『天秤道(てんびんどう)、黄熟行(あきない)、商魂(しょうこん)』という三方よしを掲げているんです。一つ目の『天秤道』。天秤棒というのは近江商人の商売道具でした。近江商人は天秤棒を担いで行商したんですね。天秤道というのは、単に商品を売るのではなく、お客さまに喜んでいただくために人間性を磨くことが最も大切だという考えです。『商道は人の道』ということです。二つ目の『黄熟行(あきない)』。黄色く熟してゆく商い。昔、お菓子といえば果物で、なかでも柿だったんです。柿を手塩にかけておいしく育てて売る。それが大切なんですね。あるいは母親が子どものために塩梅よく握ったおむすびをつくる。遊び疲れているから塩をちょっと強めになどと食べる子のことを考えながらつくる真心が大事だということ。三つ目の『商魂』とは商売の心持ちのことで、今日はいかにお客様に喜んでいただけたか、常にお客さまのことを考える気持ちが大切ということです」
この「近江商人の『三方よし』」の精神は、たねや・クラブハリエの社会的なムーブメントになっている活動SDGsにも活かされている。大村氏はいう。
「私たちは自然の恵みをいただいて、おいしいお菓子にして皆さまにお届けしています。でも今の地球を思うと、ずっと続けていけることではないのかもしれないと不安です。食卓にも不自由なくさまざまな料理が出てくるけど、いつまでそれが続くのかなと考えたとき、やっぱり何かしなければと思ったんです。それで私たちのサステナブルな取り組みとして『大切にするきもち』を掲げたのです」
「大切にするきもち」では、未来へつながるビジョンを5つの柱に、サステナブルなお菓子づくりやカーボンニュートラルの実現、地域の伝統や文化の継承活動などを幅広く展開しているという。なかでも最近の取り組みとして力を入れているのが「ラ コリーナ」での活動だ。泥まみれになって田んぼの土を掘り起こし、水を張り、田植え、雑草取り、そして稲刈り。地域のさまざまな人々が集まり土に触れ、土に学び、楽しむ。
ここは、サステナブルな未来への具現のカタチを発見する場であり発信地といえるだろう。それは近江八幡というこの地に連綿と続いてきた人々の絆と、大地の感触、色、味から生まれるのかもしれない。



ラ コリーナを離れ、10分ほど歩くと日牟禮八幡宮に至る。遠い歴史が滲む境内に佇むと確かに神域の気配が感じられる。神社の創建は古く千年以上前だという。地元では「八幡さま、八幡さん」と親しみを込めて呼ばれているそうで、「近江八幡」の名の由来にもなっている。
現在神社は八幡山の裾端にあるのだが、かつては山麓にも社殿があり、「上の社」「下の社」の二つだったという。
豊臣秀次が八幡山城を築城するとき下の社に合祀した。八幡山城は秀次の自害によって廃城となったが、八幡堀を水路にして琵琶湖航路に整備して商人の町として発展した。日牟禮八幡は近江商人の守護神として崇敬を集めたという。
ここ近江八幡は、かつて全国に名を馳せた近江商人の発祥の地である。ひとくちに近江商人といってもいくつかの地域に根ついた商人たちがいた。このあたりには八幡商人といわれ、江戸初期に誕生した。当初は天秤棒を担いで各地の物産を別の地に供給して廻る「物産廻し」という行商をしていたが、徐々に規模を拡大して各地に店を構えるようになった。徳川家康の庇護のもと八幡商人は畳表や蚊帳などから後に織物・呉服を主力に、江戸・大坂などで大店を構えて繁栄し、「八幡の大店」などといわれた。
近江商人の特徴は、藩というしばりを超えて全国で商売をしたことと、郷土意識が強かったところにある。常に出身地の繁栄を考え、地場産業を主宰し育成を図った。そのあたりから、近江商人の「三方よし」という言葉が生まれた。「売り手よし、買い手よし、世間よし」という近江商人の経営理念は、特に「世間よし」という地元への社会貢献に特色があり、共に繁栄することで存続できるという持続可能な経営哲学を400年ほどまえから実践していたのである。



八幡堀を漂う舟を目で追いながら町中に入り、新町通りあたりを歩く。ラ コリーナの賑やかさがうそのように町は静かだった。ときおりヴォーリズの建てた洋館に出逢うと、立ち止まって眺めた。英語教師として近江八幡に来日し、建築家、社会事業家、キリスト教信徒伝道者として活躍し、特に日本の近代建築に大きな足跡を残した人物である。それにもまして近江八幡を愛し、この地で多くの種を蒔き、地域の人びとに慈愛を持って尽くしたことは現在でも語り継がれている。まさに「世間よし」を実践した米国から来た近江商人だった。
すると、先ほどの大村氏の言葉を思い出した。
「若い私たちにとって里山の風景とは、懐かしい風景ではないんです。里山を知らないんですね。だから里山は若い人には最先端の風景なんですよ」
そうか。消えた風景をもう一度つくりだすために、失われた美しい環境をもう一度取り戻すために、少なくとも彼女たちは種を蒔いている。どんな花が咲くのかはわからないが、あの丘に新しい種を蒔いているのだ、と思った。

文・写真:北崎 二郎
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