「ストーリーテリング」とは?
「ストーリーテリング」自体は、新しい手法というわけではない。古くはキリストの教えを説いた聖書、様々な教訓を盛り込んだ童話も、人々が理解しやすいようにストーリー(物語)を用いて伝えるという意味で、ストーリーテリングだ。
「ストーリーテリングとは、伝えたい内容を、具体的なエピソードや、背景も含めた物語(ストーリー)の形で、聞き手(読み手)により分かりやすく、より印象的に伝える手法です」(下田屋氏。以下同様)
ビジネスの場で何かを伝える手法として、一般的に用いられるのは、プレゼンテーションだ。プレゼンテーションが、象徴的なデータや数字、端的な言葉で、伝えたいことを簡潔に見せるのに対して、ストーリーテリングでは、物語で相手を引き込む。
「物語性があることで、機械的な数字やデータよりも、人の記憶に残りやすく、共感も得やすくなる。その結果、情報を伝えるだけに留まらず、『自分も取り組みたい』という、衝動や実際の行動にも、結びつきやすくなるのです」
こうしたストーリーテリングのビジネスにおける効果は、米紙「ハーバード・ビジネス・レビュー」などでも取り上げられ、高く評価されている。
世界銀行を動かした「ザンビアのマラリア治療法」のストーリー
ビジネス界でストーリーテリングが注目されたのは、世界銀行のスティーブ・デニング氏がきっかけだった。
「1990年代、世界銀行の主な業務は、途上国への融資や資金提供によるプロジェクトの遂行で、銀行内に蓄積された途上国支援のナレッジをシェアする仕組みは存在していませんでした。そうした状況の中、IT技術を用いたナレッジシェアリング構築を提案したのが、デニング氏です。しかし当時はまだ、ITの重要性が認識されていない時代。彼の提案を真剣に受けとめる人は誰もいませんでした。そこで、人々を説得するために彼が用いたのが、『ザンビアのマラリア治療法についてのストーリー』です」
ザンビアのマラリア治療法についてのストーリー
ザンビアの首都・ルサカから約600キロ離れた小さな村。その村の医療所で働くスタッフは、マラリアが蔓延する中、治療法が分からず途方に暮れていた。1995年当時、既に治療法は解明されていたのだが、都心から遠く離れたその医療所には、情報が行き渡っていなかったのだ。物理的に他の医療所を訪ねるのは不可能。何とか治療法を見出そうとインターネットを使用したところ、ついに治療法を入手できたのは、アメリカ・アトランタの疾病対策センターが運営する情報データベースだった。
世界銀行は、マラリアの治療法はもちろん、相当量のナレッジを蓄積している。それにも関わらず、ナレッジをシェアする仕組みがないために、困窮する医療所に対して何もすることができなかったのだ。
デニング氏が語ったこのストーリーは、通常のプレゼンテーションでは聞く耳を持たなかった世界銀行の上層部の共感を呼び、ナレッジシェアリング構築への大きな原動力となった。現在、世界銀行のWebサイトには、膨大な情報、ナレッジが蓄積されており、世界中からアクセスすることができる。
「官僚的で巨大な組織である世界銀行でさえ、印象的な一つのストーリーで、変革を起こすことができたのです」
「サステナブル・ストーリーテリング」とは?
下田屋氏は、デニング氏のストーリーテリングによる組織変革は、CSRの領域でも起こり得るという。
「ストーリーテリングの手法をCSR領域に応用したのが、『サステナブル・ストーリーテリング』です。大きく2種類に分かれ、一つは、世界銀行のように、『社内変革を起こすストーリーテリング』です。企業のCSR担当者から、トップの理解や他部署の協力がなかなか得られない、という話をよく聞きますが、多くの場合、『CSRは企業の本流や収益とは無関係』という認識が障壁となっているのでしょう。こうした状況を打破し、CSRの真の意義を企業全体に浸透させるのにも、ストーリーテリングは有効です」。
CSRが企業にとっていかに有益であるかを、自社の背景や具体的な事例も含めた、ストーリーとして説く。印象に残りやすく、行動に結び付きやすいストーリーだからこそ、通常のプレゼンテーションでは成し得なかったトップの意識改革、社内変革を起こし得る、というわけだ。
もう一つは、幅広いステークホルダーを巻き込むためのストーリーテリングだ。
「企業がサステナビリティを打ち出す際、その背景には必ず、気候変動や食糧危機など、社会課題や地球規模のリスクがあります。ところが、そうした課題やリスクと、企業の取り組む活動とのつながりが、よく見えないケースがある。その結果、共感が得られず他人事に見えてしまう。社会課題やリスクなどの背景と、自社のCSRの概念、活動を一連のストーリーでつなぎ、分かりやすく伝えるのが、二つ目のストーリーテリングです」
企業のサステナビリティの延長線上に、社会のサステナビリティがあることは、CSR部としては当然の認識だろう。しかし、ステークホルダーとのコミュニケ―ションを振り返った時、両者のつながりを分かりやすく見せることができているだろうか。活動の背景、真の意義と切り離された情報発信では、相手の理解もそれなりのレベルで停滞してしまう。
「既に欧州CSR先進企業では、ステークホルダーとのエンゲージメントにストーリーテリングを活用しています」
先進企業の例として、マークス&スペンサーの取り組みを紹介する。